中部支部 スケッチ会 by 太田昌文
2008/12/26
【市政資料館正面】
今年も第一美術協会中部支部のスケッチ会に参加しました。今回は名古屋の「文化の道」。
すぐそこまで冬の気配が漂う11月末でしたが、その目は誰の心がけがよかったのか、穏やかな陽射しが明るい小春日和。
外を散歩するには絶好です。
この「文化の道」、名古屋城から徳川園まで、散策できる範囲に歴史的な建物や町並みが点在しています。
まず向かったのは、名古屋市市制資料館。大正11年(1922)に当時の名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として建設されました。
レンガ造りの重厚な外観は中部地方の司法の中心としての役割を担ってきた風格を感じさせてくれます。
今は資料館として無料で見学できます。とりあえず中に入ってみました。
資料館としての市制に関するさまざまな写真や文書、また模型などの常設展示があり、名古屋という街の過去から現在までを紹介しています。 また別に、部屋ごとに一般に貸し出しもしていて、その日は、とある芸術専門学校の展覧会が催されていました。まだ乾ききっていない油絵具の匂いの中で、コンピュータグラフイックスや絵本などさまざまな展示があり、新しい試みの作品からはいい刺激と励みを受けました。
【市政資料館裏】
館内を一通り廻った後は、スケッチタイムです。陽のあたる場所は、ジャンパーを着たままだと汗をかいてしまいそうな暖かさ。
そして街中とは思えないほど静かで、時折、鳥のさえずりも聞こえてきます。
私たちのほかにも一人、木陰のベンチに腰掛けて絵筆を握っているお仲間も。
私は建物正面から少し斜めの位置に陣取り、大きな樹から広がる枝を日除けにして、描き始めました。
レンガとコンクリートの複雑な構造と悪戦苦闘しているうちに、いつのまにか昼を少し過ぎ、予定時間をオーバーしていました。
やっぱり、静かな環境で描くことに集中するのは気持ちいいものです。
【市政資料館 敷地の紅葉】
この市制資料館、結婚式場としても利用されているようで、描いている途中で新郎新婦が正面玄関前に登場し、その周りを陽気な礼服の一団が取り囲みました。
礼服の黒とレンガの赤茶の中心に真っ白なウェディングドレス、まさに風景の主役でした。
……隣に新郎もいたはずですが、よく覚えてません(笑)。
近くのうどん屋で昼食をとった後、白壁の町並みを見ながら向かったのが二葉館と呼ばれる旧川上貞奴邸です。 ”大正の電力王”福沢桃介と貞奴が晩年を過ごした館で、もとは双葉村にあったのを今の場所に移築したのでこの名で呼ばれているそうです。 玄関ポーチの屋根を支える太い柱が印象的なレトロモダンな建物。 残念ながらスケッチができるような場所がなかったので、脳内で描いた後、館内を見学することに。 移築されてまだ間もないこともあって、中はとてもきれいで、住んでいた人の豊かさと繊細さが伝わってくるようでした。
【二葉館】
貞奴の思い出をあとに、紅葉の並木が鮮やかな白川公園を通って、名古屋市美術館で「ピカソとクレーの生きた時代展」を鑑賞しました。
タイトルの二人と同時代に活躍していた巨匠たちの作品を一度に見ることができます。やはり時代を超えた名画はインパクトが桁違いです。
これらの絵の中に自分の作品を置いたら……、と思いかけて恐くなったのでやめました(汗。
でも、いつかは(想像の中ででも)置いてやるぞ、と思いながら今回のスケッチ会、解散となりました。
【白川公園】
また、今年も一年が過ぎようとしています。毎年同じ事を考えているような気もしますが、この一年、何かを残すことができたのか?
どこか成長したのか?残りわずかな日にちですが、少し省みつつ、来年への抱負を暖めつつ、過ごしてみようと思います。
それでは、一年間ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いします。
山行 <後編> by 徳永洋子
2008/11/22
【涸沢ヒュッテから】
9月13日 富士山、北岳についで日本で3番目の標高を誇る奥穂高に登る。
岐阜のログハウスを5時過ぎに出発平湯温泉あかんだな駐車場に車を止め上高地行き7時30分のバスに乗る。
8時15分 あいにくの雨の中上高地バスターミナルからスタートし明神、徳沢、横尾とダラダラとした道を歩く。
横尾の橋を渡ると本来の登山道となり気を入れて歩き始める。しかし何だか変だ足に力が入らない。
左足膝の後ろ側がつっぱるようで歩きにくい。そうこうしている内に少しづつ痛みを感じるようになった。
頂上まで行けるだろうか、頭の中は不安でいっぱいになったがそれを打ち消すようにもくもくと歩いた。
【ストーブのそばで山談義】
1時15分涸沢ヒュッテに到着荷物を置いてデッキへ出てみる。雨は止みアルプスの山々がくっきりと顔を
だしてくれた。フランス人のカップルが座っているテーブルに同席し久しぶりに忘れかけた英語でおしゃべりをする。
三日前に成田に着いたばかりで日本最初の訪問先がここだと言う。フランスでも山はよく登るのだそうだ。
頂上を目指すのかと聞いたらこちらに泊まって明日は下山するとのこと。1ヶ月の休暇をとってこれから西日本を中心に観光するのだそうだ。
10年間をアメリカ、カナダで過ごした私はつぶさに彼らの余暇の過ごし方を見てきたが長い休暇をとり家族とゆっくり旅行を楽しむ姿にうらやましさを感じたものだ。
連休ということも有りヒュッテは人、人、人、4人部屋のところを6人でお願いしますと言われる。 しかしこれはまだましなほうだ。夕食を済ますと早々に休む人もいれば乾燥室のストーブのそばに集まり山の話に花が咲く。
【登るのだ!】
9月14日 4時半起床 昨日と打って変わって晴天である。足の痛みが気になったが登ると決断する。
お花畑から巨岩の並ぶザイテングラードをへて7時15分穂高小屋へ到着。
おにぎりを一つほうばりいよいよ鉄はしごのかかる岩壁を登るのだ。時々痛む足の痛みに耐えてのきつい登頂だった。
他の登山者達と代わる代わる写真を撮り合って頂きに立つ喜びを分かちあった。眼前に現れたジャンダルムに感動する。
これを行けば西穂高へと続くわけだ。
【西穂高へ】
足を痛めた場合つらいのは登りより下りである。夫が心配するが登りたいと言い出したのは私である。
何とか頑張って下まで降りてきた。長い道のりだった。5時過ぎから歩き始め3時45分上高地バス停到着。
トータル約11時間の歩行だった。
【奥穂高岳山頂にて】
可憐な花に会え、きれいな空気、何よりも頂きに立つ充実感、山はやっぱりいいですね。
山行 <中編> by 徳永洋子
2008/11/13
【到着〜】
月山下山後ロッジに戻りシャワーを浴びて汗でぬれた衣服を着替えさっぱりする。 宿の奥さんに見送られて鳥海山へと向う。今晩泊まる山小屋「滝の小屋」をナビで探すがなかなか見つからない。 四つの目でナビの画面とにらめっこしながらやっと見つけて無事麓の駐車場に到着。
駐車場から山小屋までは
20分程度の歩行で、4時前に小屋に着いた。まだ陽は上のほうに有り時間をもてあましそうで、
小屋の主人の勧めで滝が見えるところまで登ってみた。なるほど小屋の上のほうに滝が有り「滝の小屋」の名前も頷けた。
小屋は東京からの熟年のカップル一組、我々とで4人という少人数で広い山小屋にゆったりと寝かせてもらった。 週末とか連休の山小屋はごった返していて一畳に2人という恐ろしい状況になることも有りトイレから戻ってみると 入る隙間もなくなっていて気の弱い人は廊下で丸くなって寝る羽目に・・・
【雪渓を渡る】
小屋の主人は大の宮崎あおいファンおりしも今日は日曜日大河ドラマ”篤姫”のある日だ。貴重な自家発電で
時々映像が消えたりする中、山の中ゆえそれも納得して楽しませてもらった。
【岩また岩】
8月11日早朝4:55に小屋を出発雪渓を2度ほど渡り8:00山頂小屋に着く。小屋の主人お手製のおにぎりを
食べて難関の頂上新山へと向う。頂上までの道程は巨大な岩を黙々とよじ登るのみ。これが登山の醍醐味かな。
【頂上新山】
下山後娘ファミリーの住む十和田へと向う。3月末アメリカから帰国して以来会う孫たち。大きくなった孫達と
一緒に登山を楽しみたい。これが長い間の夢だった。
【孫達と】
8月13日5時起床酸ヶ湯温泉6時15分登山開始。山頂までの道程は小1の孫娘にはきついかなと思ったが
元気いっぱいで頂上に立つことが出来た。
山行 <前編> by 徳永洋子
2008/10/02
【安達太良山 山頂にて】
キナバル山登頂以降チャンスを作っては多くの日本の山に登った。 新国立美術館での第一美術展覧会見学の後日光白根山(2578メートル)磐梯山(1819メートル)安達太良山(1699,6メートル)へと足をのばした。 白根山は2000メートルの所までロープウエーで運んでくれるので楽な登山といえるかもしれない。
【雪の上で】
全行程の4割は雪の上で時々ズボットはまりながらの楽しい登山だった。
下山後は白根山を見上げながらの足湯もまたホッとするひとときだった。栃木に住む息子宅で1日身体を休め福島県へと移動。
猪苗代湖を眺めながらの磐梯山登山その後小さな温泉宿に泊まり翌日は安達太良山にのぼった。
高村知惠子は安達太良山の上の空が本当の空だといったが残念ながらこの日は風邪の強い曇り空で美しい空は見えなかった。
【白根山を見上げながらの足湯】
7月19日 27年振りに西穂高登頂をめざす。 ガイドブックによると新穂高ロープウエーを使うと日帰りで行けるとあった。 ロープウエーの最終時間に間に合うように下りてこなければならずかなり厳しい登山となりそうだったが 西穂山荘では生ビールをゆっくり飲む時間も有り心配することも無かった。 独標で会った若い男性がここまで来るのも豪かったのでここで止めようと思うなどと言うので昔小学2年の息子も登ったのだから 頑張って下さいと発破をかけた。
【西穂高 独標】
雪が降ると保護色で真っ白になる雷鳥に出会った。
人に慣れているのかいたずらする登山者がいないからか逃げようとはしなかった。
27年前小学2年生の息子と5年生の娘を連れて登った時はいとも簡単にすらすらと登ったピラミッドだったがこの度は緊張の連続だった。
【雷鳥に出会った】
重ねてきた27年はやはり重い。西穂山荘は小さな山小屋だったが新しく大きな建物に変わっていて驚いた。
あの時は利口そうな犬もいて息子たちとも喜んで遊んでいたがもう生きている筈も無く解っていながら私の目は探していた。
山荘前はカラフルなテントでいっぱいだった。群生していたキヌガサソウが目を惹いた。
【花の美しい山】
8月9日 未明に鈴鹿を出発山形県月山に向う。
ロッジに宿泊早朝宿のおじさんにリフト乗り場まで送って頂き登山開始。花の美しい山だった。
この山は元々春スキーの山で冬は泊まったこのロッジもすっぽり雪の中に埋まるそうで、
春になって始めてスキーシーズンが始まるのだそうです。
私達が登った日もどこかの学生が団体で残雪の中スキーの練習をしていた。
【可憐に咲いて】
続きあり
真夏の九州ツーリング その3 by 太田昌文
2008/09/16
【大村湾を望む】
九州ツーリングも後半の6日目。熱い記憶の長崎に別れを告げて、まずは呼子を目指します。
長崎から、大村湾を望む県道を入り江の風景を楽しみながらしばらく北へ。西海橋&新西海橋が見えてきました。
優美な赤と白2本のアーチが両端の緑地をつなぎ、眼下では狭い海峡になだれ込む蒼い潮流が唸りをあげています。
赤い西海橋を渡り、そのままハウステンボス脇を抜けて、佐世保へ。朝の佐世保は活気があって熱く渋滞気味。
気になった通り沿いの佐世保バーガーの店は時間的に苦しいのでパス。
【平戸大橋】
港街を過ぎて車の量が減ってくると、大小さまざまな島がいくつも見えてきました。
蒼い海と緑の島々が紡ぎだす複雑でどこかリズミカルなコントラスト、九十九島です。
ちらちらと見え隠れする島々を左手に、さらに北上を続けると、真っ赤で真っ直ぐな大きな橋が。平戸島へ渡る、平戸大橋でした。
余裕があれば、あの橋も渡ってみたかったのですが、ちょっと今日は予定があります。
そのまま走り続け、伊万里を通り、昼過ぎに呼子へ。
通り沿いの活魚料理の店へ飛び込んで、開口一番、「イカの活き作り!」これのためにここをコースに入れたんです(笑。
少し波打つ透明な身に外光が反射してネオンのように瞬きます。口にすると少しコリっとした歯ごたえに染み出てくる甘さ。初めて本物のイカを食べたような気がしました(笑。
大満足で呼子を後に。唐津を過ぎて虹の松原へ。松林の中の一本道ですが、ここは砂浜をゆっくり散策するのが本来の楽しみ方なんでしょう。
あっさり抜けてしまいました。ここからは少し山中に入って吉野ヶ里、そして宿泊地の久留米です。
【ファームロード】
7日目は阿蘇の火口を目指します。一直線に向かってもいいのですが、せっかくのツーリング、なるべく気持ちの良い道を走りたいもの。
ということで、地図に、久留米近くから東に向けて「耳納山スカイライン」という記述があったので走ってみることに。
が、少し走ると2車線だった道幅がいつの間にかすれ違いも難しいぐらいの荒れた1車線に。どうみてもあまり管理されていない林道。
しまったと思っても後の祭り。でも、そこは尾根道、右手には連なる山並み、左手には浮羽の街並みが広がる対照的な風景が交差します。
途中にはハングライダー発進基地もありました。
【大観峰からの展望】
うねうねと続く林道を走破し、阿蘇への快適アクセス路、「ファームロード」へ。
ここは本当に気持ちの良い路です。一面の草原を渡る風からは濃い草の匂いと牛馬の気配、空は高く地はなだらか。
幾つかのバイクの群れに追い越されながら、まずは有名な展望ポイント、大観峰へ。
圧巻の360°パノラマ!阿蘇山から続くカルデラ台地、阿蘇市の街並み、外輪山の山並み、世界の中心に立っているような錯覚に囚われ、しばし呆然と雄大な風景の中に意識を漂わせていました。
【草千里にて】
売店でソフトクリームを食べて、阿蘇の火口を目指しバイクを跨ぎます。
途中、草千里の中を駆け抜け、短い有料道路で岩石が露出する猛々しい山肌の中を縫って火口まで。
初めて見る活火山の火口は赤茶けた岩の器の中にエメラルド色の水を湛えた一種神秘的とも言える眺めでした。
ここでは小雨がちらついていたのであまり長居はできず、折り返しました。
【阿蘇山頂】
やまなみハイウェイを今度は北上し、九重”夢”大吊橋で休憩です。まだできたばかり、渓谷をまたぐ日本最大の人道橋。 よくぞここにと感心する絶好のロケーション、どの方向を見ても大迫力の展望で、疲れも吹き飛びました。 この後は2日目のコースを逆にたどり、大分で泊まりです。
【九重”夢”大吊橋】
日程は7泊8日ですが、初日と最終日は大分〜鈴鹿間を同じルートでの往復で、実質九州を走ったのは6日間でした。
九州の風景はどこに行っても広さと力強さを感じさせてくれました。
この感動を絵に出来れば素晴らしいのに、と、いつも良い風景に出会うと思うのですが、なかなか実現できません。
今年の三重グループ展では、少しでもこの風景を伝えられたら、と思います。
【吊橋から】
延々と絵と関係ないことを書き連ねてしまいました。ここまでお付き合いいただいた方、本当にありがとうございます。
【吊橋から】
真夏の九州ツーリング その2 by 太田昌文
2008/09/04
【池田湖と開聞岳】
鹿児島から朝日と共に南下して、4日目は指宿スカイラインから。薩摩半島指宿までの、鶯の鳴き声も聞こえる山中快速ロードです。 朝早いせいか、走っている車もほとんどなく、池田湖まで快適なクルージングでした。 湖畔のパーキングで開聞岳を見ながら休憩。池田湖の静かな湖面を前景にした佇まいは薩摩富士の呼称にふさわしい品格を感じさせます。 開店直後の近くのドライブインで体長2メートル近い天然記念物の大うなぎも見てきました。 視界の中で徐々に大きくなる薩摩富士の姿に絵心をそそられつつ、あの大うなぎ1尾でうな丼何杯分かなとか考えながら、開聞岳のふもとから西へ。
【東シナ海を望む】
枕崎灯台をかすめて北上、R270で串木野へ。
そこから東シナ海、八代海を左手に見ながら出水、水俣、八代と経由して、宿泊地の熊本へ。
串木野以降、思ったよりも時間がかかり、熊本城見物は諦めてとりあえずホテルへ。
ここで誤算だったのはJR熊本駅前だから便利だろうとホテルニューオータニを宿にしたのですが、実は繁華街は熊本城前だったこと。
でも、そのおかげで路面電車に乗れました。バスほどのそのそとしたイメージが無く、普通の電車ほどよそよそしくない路面電車は、乗るたびになんとなくワクワクします。
熊本新市街を少しぶらぶらして、ホテルに戻りました。
【高速フェリーからの島原】
さて、5日目。今日の予定は雲仙、そして長崎。
そろそろ長旅の疲れも出てくる頃、午前中に長崎に入って、午後はゆっくり長崎観光という計画。
今日も空は最高に晴れてます。朝一番、東からの低い陽光にきらめく有明海上を一直線に延びる橋を渡り、広大な干潟の中に造られた熊本港へ。
高速フェリーで潮風と海月の群れのなか、島原湾を横断、30分で島原です。
【雲仙地獄】
雲仙岳へ向けてワインディングをしばらく愉しむと、道端からもうもうと沸き立つ湯気が。
雲仙地獄の入り口でした。バイクから降りて、硫黄の臭気が立ち込める遊歩道に沿って進むと次々と姿を現す地獄絵図。
小糸地獄、邪険地獄、叫喚地獄。靴底からほのかに伝わる熱が、活きている地なのだと訴えてきます。
コースを一巡りして人界に戻り、一息入れていざ長崎へ。
【大浦天主堂】
…暑い、車多い、道狭い……、長崎市街はツアラーにはちょっとつらいものがありました。
何とかホテルにバイクと荷物を置いて、さあ、観光と張り切ったのですが、これがまたすごい暑さ。
出島で昼食のあと、そろそろと歩いて大浦天主堂へ。中に入ると空調は扇風機だけですが、これが気持ちよくていつの間にかうつらうつら。
その後も坂と陽射しに攻められて敢え無く白旗状態、喫茶店に敗走です。
【がっつりと】
が、これは実は戦略的撤退で、この喫茶店「オリンピック」も目標の一つ。
ここはなんと高さ1メートルのパフェがメニューにあるという難敵の要塞です。
迷った末、ちょっと日和って60cmのパフェに挑戦。果敢に攻め、何とか制覇。
長崎ではこのパフェが一番印象深かったかも……(笑。
その3へ続く……。
真夏の九州ツーリング その1 by 太田昌文
2008/08/28
【フェリーからの四国・佐田岬半島】
7月の下旬に九州をバイクで走ってきました。
我が家では毎年この時期に長距離ツーリングに行くのが年中行事になっていて、最近は中国・四国方面を巡っていたのですが、今年は少し長い休みが取れたので、一週間あまりをかけて、初めての九州ツーリングです。
九州までのアクセスは、大阪からフェリーでというのも考えたのですが、どうせ走るならなるべく自走で、でも単調な高速道路の風景ではつまらない、ということで、四国経由のルートを計画。
明石海峡大橋で淡路島へ、鳴門大橋で四国へ渡り、高速道路で大洲まで。気温38℃のR197メロディーラインで佐田岬半島の三崎港へ行き、フェリーで1時間ちょっと海風を楽しむと九州・佐賀関です。
最初の宿泊地・大分のホテルに着いたのがまだまだ暑く明るい18:00頃でした.
鈴鹿を出発したのが7:00だったので、途中、淡路SAで観覧車に興じていたことも考えると思ったよりいいペースでした。
【やまなみハイウェイ】
翌朝、6:00頃、出発。実質九州ツーリング初日。いきなりハイライトコースから。
大分からR210で由布院を横目に水分峠へ。そこからの県道11号が通称「やまなみハイウェイ」。
九重の山並みを貫き、阿蘇へ向かう広大な風景の中の快適ワインディング路でした。
初めて見る阿蘇外輪山の山容を真正面に、日本とは思えない遥かに続く明るい草原の中を走り抜ける。
標高が高いせいか、暑さよりも風の涼しさを感じます。
阿蘇のふもとで国道に乗り換え、山裾の東側を廻りつつ次の目的地は高千穂峡。
【高千穂峡】
ここでボートに乗るのが本日のお楽しみ。神話の源、絶壁に挟まれた緑と滝と清流が造る渓谷の底を手漕ぎボートでのんびりと。
あちこちの岩から滝が落ち、真上からの陽射しを水面が反射して、滝の飛沫に虹がかかります。
でも、気を抜くとずぶ濡れになりかねません。
川面の涼風を堪能した後、流しそうめんと岩魚の塩焼きで空腹を満たし、本日の宿泊地・宮崎へ向かいました。
3日目は前日の緑景とは打って変わって、太平洋を眺めながら陽光と潮風を浴びていきます。 宮崎を出てまずはR220宮崎南バイパス。道路沿いに高さ10メートル程のソテツがハイウェイライトのように延々と並ぶ南国ムード満点の快適路です。 さらに日南海岸を南下、R220,R448と繋ぐ通称「日南フェニックスロード」。 バイザー越しに見える海は、遥か一面に銀箔を散らしたかのように朝日にきらめいて目が眩みます。
【お馬様ご一行】
そして都井岬へ。宮崎の最南端、太平洋に数キロだけ突き出す小さな半島。ここには在来種の野生馬「御崎馬」がいます。
岬への一本道をゆっくりと流していると、目の前に馬が。この半島はお馬様の支配下にあるので、おとなしくお退きくださるのを待って、発進。
都井岬観光ホテル前の芝生スペースでひとしきりお馬様と戯れて(お馬様には胡散臭そうに思われていただけかも)、都井岬を後にしました。
ここからは大隈半島周遊ルート。午後の灼熱の太陽の下をR448で錦紅湾側の大根占まで一気に周ります。大根占から錦紅湾沿いに北上、桜島へ。
溶岩流の跡と山頂付近の荒々しさに見蕩れつつ、溶岩色の看板のローソンで暑さと飢えをしのぎつつ、フェリー乗り場へ。鹿児島まで15分の船旅。今日は鹿児島泊です。
長くなりましたので、その2へ続く……
モンサンミッシェル by 中西安弘
2008/08/10
【夕日のモンサンミッシェル】
モンサンミッシェルはパリからバスで5〜6時間西へ走ったところにあります。
日帰りでのコースがありますが、スケッチが目的の私たちはサンマロに泊まった。
前日の夕日の中で見たモンサンミッシェルは威厳があった。
【石落としの回廊】
海の中に80mの小高い山の上に建てられた修道院で建物を含めると170mの高さになり遠くからでも見ることが出来る。
モンサンミッシェルはもともと修道院として建てられ、キリスト教徒が心のよりどころで、満干の差が12mもあり、干潮の時に巡礼者は修道院に渡った。
しかし、モンサンミッシェルはイギリスとフランスのいわゆる100年戦争では砦としての役割を負わされたり、政治犯の刑務所に利用されたりした。
【モンサンミッシェル近景】
1979年に世界遺産に指定され、いま多くの観光客の人気を得ている。
1885年に作られた取り付け道路が今年から一部取り壊され歩道橋に架け替えられる。
周りの生態系を考慮してのことであるが、道路を作るときに考えられなかったのかと思うが、日本でもつい最近まで、ゼネコンの利益のために不要な河口堰や水門を作ったりしているからそう咎めるのは野暮というものか。
しかしながら、このモンサンミッシェルは今回のスケッチ旅行では最高のモデルとなった。どう作品にするかは「あなたの技量だって?」
南フランスへスケッチ旅行 by 中西安弘
2008/07/30
【モナコ公国宮殿】
6月26日から7月3日まで南フランスへスケッチ旅行にでかけました。
8日間天候に恵まれ快晴ではありましたが、30度を超える毎日でした。ビールばかり飲んでました。
ヨーロッパではミネラルウオーターよりビールの方が安いからです。
【エズ村】
それでは、数箇所景色のいいところをご案内しましょう。
ニースで2泊して、モナコ公国とエズ村を観光。モナコ公国は女優グレイスケリーが嫁いだところ凄い宮殿でした。
ここは税金は国民から一切取らないと聞いて住むならここだと思いました。
エズ村は地中海に臨む断崖絶壁にある村で景色がすばらしい。
【セザンヌのアトリエ】
【ボンヂュガール(水道橋)】
アビニヨンで2泊して、セザンヌのアトリエを見学し、翌日ボンヂュガール(水道橋)を観光、5世紀にどのようにして石を積み上げたのか驚きました。
【ゴッホの跳ね橋】
アルルでは、ゴッホの跳ね橋を。ゴッホより上手く描くと失礼にあたるので撮影だけに。
【モンサンミッシェル】
サンマロで宿泊していよいよモンサンミッシェルヘ。世界遺産で人気ベスト3に入るだけあって圧巻。
モンサンミッシェル詳しくは次回に。
タイムスリップ by 中西安弘
2008/06/09
【八幡堀】
近江八幡の八幡堀をスケッチしょうとぶらりしていたら、突然侍が出てきた。
「ちょっと、ちょっと、時代劇に現代人が出てくると困るんですけど」とスタッフが追いかけてきた。
「こりゃ、また失礼」と別のところで写生していたら、今度は加藤剛さんと榎木孝明さんが並んで歩いてきた。
「描いてますね」と榎木さん。とっさに「あんたの絵、北海道美瑛(榎木美術館)でみせてもらったよ」と言ったら「こりゃ、どうも」
東京TV(三重県は愛知TV)金曜日放送の「密命」最終回(6月13日夜8時)の撮影が4月28日滋賀県近江八幡の八幡堀で行われた。
この八幡堀は時代劇のロケによく使われる。この日も船が出ていたので、これを油絵に仕上げてみた。
プルシャン・ブルーとカドミウム・イエローとローズ・マッダーとチタニュム・ホワイトだけで描いてみた
第79回 第一美術展 +α by 太田昌文
2008/06/03
【国立新美術館】
国立新美術館で開催中の、「第79回 第一美術展」を観てきました。あいにく雨でしたが、まぁ、展覧会を観るには関係ありません。
この新美術館での開催も2回目となり、展示も初めての前回よりも観やすく考えられていて、600点近い作品数にもかかわらず、観終わったときは疲労度よりも充実感のほうが上回っていました。
自分で描くのが油彩の具象画なので、どうしてもそれらの作品を中心に観てしまいがちなのですが、第一美術の絵画部門は水彩・抽象も盛んでレベルも高く、色々な意味で刺激を受け、また、自分の作品がまだまだだなと実感しながら会場を出ることになりました。
今回、中部支部から中嶋ともゑさんが絵画・一般部門の佳作賞を受賞され、上野精養軒で行われた授賞式・レセプションにも出席してきました。
料理も美味しく、食欲を満たし、創作意欲をかきたてて、閉会の三本締めに加わりました。
【墨田川の水上バスより】
せっかく東京まで来たのだからと1泊して、翌日は朝から隅田川を両国から水上バスで荒川遊園まで上りました。
特に目玉の無いマイナーなコースだと予想はしてましたが、天気の良い日曜日、定員100名を超える船に乗客は7名……。
とはいえ、初夏の明るい日差しの中、都会のビル群を横目に川面を渡る風を切って行くのはとても気持ちがいいものです。
隅田川にかかる幾つもの橋をくぐり、色とりどりの水上バイクの群れとすれ違ったりもしました。燃料高騰の折、廃止にならないことを祈ります。
夜は新宿にある「エル・フラメンコ」という店で本場ダンサーのフラメンコショーとスペイン料理を満喫。
この店は40年以上も前に日本初の本格的なタブラオとして開いて以来、ずっと続いているのだそうです。
間近で観るショーは圧巻の迫力で、始まって3秒後には食べる手は止まっていました。
最後に東京駅で舟和の芋羊羹を手に入れ、名古屋へ向かう新幹線に乗りました。
Mt.KINABALU 登頂とMANUKAN ISLAND by 徳永洋子
2008/04/22
マレーシアの最高峰キナバル山に登ってきました。
富士山より高い山に登ったことは無く高所順応が出来るだろうかと片隅に不安を抱えてのチャレンジでした。
北海道から九州まで総勢11人のパーティーでの参加で中には5000メートル級の山にいくつか登っている人もいました。
熱帯雨林のうっそうとした樹林帯を6時間ほど歩き、3300メートル地点にある山小屋で一泊します。
ランの種類の美しい花が咲き乱れ、中でも感動して見たのが食虫植物ウツボカズラです。
中に水(人間で言えば胃液のようなもの)が満たされていて中に入ってきた虫を溶かして食べるのだそうです。
大きいのだと3.5リットルの水が入るそうです。
【ウツボカズラ】
山小屋で一泊した早朝2時起床3時出発でヘッドランプを頼りに、頂上へと向います。
3800メートルあたりから空気が薄くなるのを身体が感じ始めます。
脳に酸素を摂り入れようと意識して呼吸をし、時々休憩をしながら何とか4095メートルの頂上に立つことが出来ました。
【登山風景】
下山後は南シナ海に浮かぶマヌカン島へ船で渡りシュノーケリング、シーフードバーベキューを楽しみました。
横浜から参加された男性が山小屋や島で少しの合間を見つけてはスケッチをしていらっしゃる姿が印象的でした。
私は遊んでばかりでした。(笑)
高鷲にて by 徳永洋子
2008/03/09
【ログハウス】
今年のスキーはこれが最後かなと思いつつ出かけてきました。
豪雪地帯と言われている岐阜県の高鷲に小さなログハウスを建てて4年目になりますが、山の好きな私にはとても気に入った場所になっています。
近い所では車で5分遠くても20分から30分でいくつもスキー場が有ります。
【遠くに見える一番高い山が白山です】
中でも一番気に入っているスキー場がホワイトピア高鷲です。
夏山で登った白山をリフトの上から下に滑り降りるまでずっと眺めながら行けるのです。
あまりの景色の美しさに滑るのを止めて暫く眺めていたり、山岳画家の故足立源一郎のようにこの景色が描けたらいいなと彼に思いを馳せたり・・・・・・
【かまくら】
近くに牧歌の里というテーマパークが有りますが立ち寄ったところ大小さまざまなかまくらが作って有りました。
瀬戸内海沿岸の温暖な土地で育った私にはとても珍しく中に入って雰囲気を楽しみました。
北の国からこんにちわ! by 中西安弘
2008/03/03
北海道富良野はいま白い大地です。積雪は2m、気温はマイナス10度からマイナス20度です。
朝早く犬の散歩に出かけると空気中の水分が凍ってできるダイヤモンドダストが美しい。
ペンションの庭に北きつねが餌を捜しにきます。
【ペンションと北きつね】
時には熱気球が屋根の上を音もなく通りすぎていきます。
【熱気球】
泊り客の人気は旭山動物園のペンギンの行進です。ヨチヨチ並んで歩く姿は子どもから大人まで楽しませてくれます。
【ペンギンの行進】
絵を描こうと近くの森林公園まで出かけましたが30分ももたず、鉛筆でスケッチして部屋に帰ってから水彩絵具で色を着けました。
【森林公園スケッチ】
光のトンネルと光の銀河 by 太田昌文
2008/02/11
【”マウント富士”からの展望】
観てきました、「なばなの里」のイルミネーション。
それは12月の話だろ、と思われる向きもあるかと思いますが、「なばなの里」のイルミネーションは3月初旬まで、その煌びやかでファンタジックな世界を楽しませてくれます。
もちろんシーズンはクリスマス前後なのですが、あまりにも混雑するので、時期を外してしかも平日に行ってきた次第です。
その目論見はちゃんと天に認められ、綺麗な星空の下、空気も澄んだ絶好のコンディション。ただひとつ、零度近くまで冷え込んだ気温を除いては。
それでも、人出はそれなりにあって、カップルや家族連れから、会社帰りと思われるスーツの一団や趣向を凝らした服装の若い女性グループなど、様々な人達が夕暮れの中、人工雪(泡?)がちらつくゲートをくぐって続々と入場してきます。
【水上の河】
私と妻がゲートを通過してほどなく、宵空に星が瞬きだし、地上にはそれを遥かに上回る密度の人工の星々が幻想的な音楽とともに現れました。
しばらくして残照が消えるとそこはもうファンタジーの世界!光の輪郭で造られた小径、刻々と移り変わる色彩の流れが構成する水上の河。
様々な色の光の中をゆっくりと歩き、時には光の風景に目を奪われて立ち尽くし、そして足はこの世界の中心ともいえる光のトンネルへ。
【光のトンネル】
それまでキラキラと綺麗な流れだった景色がトンネルの入り口に立った途端に、光の洪水状態!
7,8人が並んで歩ける広さの真っ直ぐな半円形の光のトンネル、その向こう側はよく見えません。
一歩入ると本当に光の中。やわらかなオレンジ色の光が身体の周り全てを包み込んで、異次元に居るかのような錯覚に囚われます。
上を見ながらぼぉ〜っと歩いているといつの間にか口がだらしなく半開き状態に(笑)。出口近くで気が付いて口と気を引き締めました。
【光の銀河】
そして……。「光の長いトンネルを抜けると光の銀河であった。夜の底が蒼くなった。」……と、そんな盗作フレーズが頭をよぎる、目の前は一面の蒼い光。
そして時折流星が。その綺麗さに単純に感動しました。引き締めたはずの口許がまた緩んでいました。
単に青いLEDをたくさん点灯しているだけ、というのは分かっていても、やはり感動するものですね。
こうした人工光で造られた風景は絵には出来ないものの一つだと思います。
寒さも忘れたまま、蒼い光の海を泳ぐように横切り、白い光のトンネルを抜けて、現実世界に戻ってきました。
【教会前】
さすがにその頃には冷気がコートの中にまで滲みこんでいて、名残を惜しみながら、でもそそくさとゲートを出ました。
ひと時のファンタジー世界、少し(かなり)寒いですが、気分転換にお勧めです。
初詣 by 太田昌文
2008/01/18
我が家は年末年始は京都で過ごすことにしています。
今年も例外ではなく、四条烏丸近くに宿をとってのんびりと京の街を愉しみました。
年末の京都は、お正月の準備のために閉鎖されている寺社や施設などが多く、観光客もまばらでゆっくりと街歩きをするには良い時期だと思います。
家々と小さな商店が軒を連ねる狭い路地を歩くと、其処此処の家から餅米を蒸す温かな匂いや大掃除の洗剤のわずかに鼻孔を刺激する芳香、門松用の松竹梅からの清々しい青い香りが、師走の冷えた空気と若干の喧騒にブレンドされて、年末独特の雰囲気を感じさせてくれます。
そして、大晦日の日が暮れる頃になると、にわかに人波が通りを占拠し始めます。
大きな神社の周りでは人いきれで湿度と温度がやや上がったようにも感じられ、通りに面した店のみやげ物に貼られた値札が年末年始価格(笑)に取り替えられもしていました。
その大晦日の夜、しかも日常とは異なる土地に居るにもかかわらず、我が家はごく保守的な過ごし方をします。
紅白歌合戦を観ながら、錦市場で仕入れた鰊と生麩と湯葉の年越しそば、テイクアウトした祗園縄手通りの一銭洋食、洛匠の草蕨餅、林万昌堂の甘栗、シーキューブのケーキを食べて、満足したところで行く年来る年をBGMに布団に入ります。
もちろん都路利のパフェは午後のお茶の時間に食べてあります。
そして目を覚ますと新年です。明けましておめでとうございます、ということで、まずは六波羅蜜寺の皇服茶。
我が家の一年は、いつもこの梅と昆布のお茶の香りから始まります。それから雑煮ですね。
年越しそばのそばが丸餅(これも錦市場で購入)に替わっただけの雑煮を食べて、初詣に出かけます。
【いっぱいの千社札!】
四条大宮から嵐電に乗って車折(くるまざき)へ。まずは車折神社からです。
ここは芸能・芸術の神様を祭った社があって、誰でも名前を知っている芸能人・芸術家の千社札が、鳥居や社に隙間無く色とりどりに貼られています。
少しでもそのご利益のおこぼれに預かろうと、手を合わせてこの一年の祈願をしたあと、妻は芸能の、私は芸術のお守りを手にしました。
もちろん、京都に来てこれだけで初詣を終えるはずもありません。
自分の実力不足を出来うる限りの神様仏様にフォローして頂こうとせっせとお賽銭を投げ、線香を焚き、蝋燭を灯して廻ります。
元旦のコースはほぼ決まっていて、車折神社の後、北野天満宮、清明神社に詣でます。
そのあとは気分次第。今年は上賀茂神社に参拝して神馬を拝み、清めの砂を頂きました。
2日以降も初詣の合間に食事をしてお茶を飲む感じで過ごします。
今年はいつもより滞在日数が若干多かったので、洛内をほぼ歩き尽くすことができました。
毎日、朝から夕方までほとんど自分の足で歩いてばかりという生活だったので、さぞ身体も引き締まったことと思ったのですが、食べるほうも旺盛になり、9日間で普段の半年分の食費を使ってしまい、脂肪の収支決算は今回も黒字でした。
ともあれ、よく寝てよく食べよく遊んだことで、心身ともに完全にリフレッシュできました。
皆さんは年末年始、いかがお過ごしだったでしょうか?
それでは、ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い申し上げます。
能を観ながら by 太田昌文
2008/01/07
先日、(といいつつすでに昨年になってしまいましたが)四日市市文化会館で催された、能を観て来ました。
能と狂言が一番づつのシンプルなプログラムですが、すべて観ても約2時間というボリュームなので、気軽に映画感覚で観ることが出来ます。
この、年1回開催される四日市能は、今年で19年目です。第1回から欠かさず観ていますが、来年で20回目かと思うと、別に自分が何か貢献してきたわけでもないのに感慨深いものがあります。
始まったころは、夏の陽が傾く時分から、鵜森公園で薪能として、たこ焼きや焼きそばの匂いと蚊の羽音を体に纏わせながら観ていました。
夕方の野外とはいえ、夏、数百人が大きくもないパイプ椅子を寄せ合ってぎゅうぎゅうと座っているので、配られた団扇を扇いでいても、汗が滲んできます。
それでも、夕空から星空に移り変わる中、鵜森公園の松や桜を借景に、揺れる炎明かりに浮かんで舞う能装束の美しさと所作の幽玄さは、散文的な現実を忘れさせてくれました。能、狂言のほかにも謡曲や仕舞が演じられることもありました。
その後、観客が増えたこととか安全上の理由とかで開催場所も文化会館となり、時期も少しずつ遅くなってきましたが、我が家では今でも薪能で配られた団扇が夏に活躍しています。
さて、前置きが長くなりましたが、今回の演目は狂言が「仏師」、能は「紅葉狩」です。
プログラムは、舞台挨拶から始まります。挨拶は、横笛、藤田流家元の藤田六郎兵衛さんで、第1回目からずっと変わりません。毎回違ったご自身のエピソードを織り交ぜた話は、少し砕けたテンポの良い口調と相まって、能に造詣が深くなくても分かり易く、飽きません。今回は、ご自身初のCDとグッズを景品にした抽選会もあり、盛り上がりました。
そして、会場の和らいだ空気を残しつつ、狂言「仏師」が始まります。
ストーリーは単純で、建立した持仏堂に安置する仏像を求めて上京してきた田舎者を、すっぱ(詐欺師)が仏師になりすまし、自らが仏像に扮してお金を騙し取ろうとするが、最後に見破られる、というものです。狂言独特の掛け合いの響きと、仏師と仏像の役を代わる代わる務めるすっぱの静と動の間(ま)、そしてこの演目の魅せ所、その時々のアドリブで変化する仏像のポーズが会場の笑いを誘います。
笑いと拍手に送られて、すっぱと田舎者が退場すると、ここで一旦、休憩に入ります。狂言を観たことで、楽しみながら耳が古典の言葉に慣れてきています。そして、少しざわついている会場と気持ちがこの休憩時間で落ち着きます。
10分後、やや低いブザー音が鳴り、客席に静けさと僅かな緊張感が広がり、能「紅葉狩」の開演です。
美しい上臈たちが紅葉狩りに興じているところを平維茂が通りかかります。そして誘われるまま、その宴に加わり、少し酔いも回ってうとうとと眠ってしまった維茂を、上臈たちに化けていた鬼たちが正体を現し襲いかかります。夢の中で八幡宮の神に御告げと共に神剣を授けられ、目を覚ました維茂は、激しく暴れ来る鬼たちを見事に退治します。
お話はこれだけですが、舞台の華やかさは格別です。まず、上臈たちの装束の華麗さ。金糸銀糸がふんだんに使われた紅葉色の能装束は、シテ一人だけでも目を奪うのに十分な豪奢さなのに、それがツレも含めて6人分、舞台一面の紅葉を観ているようです。そしてそのゆったりした動きの一瞬一瞬が絵画を想わせるように極まっています。
そして維茂と鬼たちの大立ち回り。それまで穏やかだった晩秋の紅葉が、にわかな嵐にあったように荒れ狂います。もちろん歌舞伎のようなあざといまでの演出は無いので、比べると地味ですが、前半との落差がそれを感じさせません。楽との相乗効果でまさに視覚聴覚の総合芸術、というのが実感できました。
満足感いっぱいで文化会館を後にしましたが、自分にはこの能の一瞬分の感動でも誰かにしてもらえる絵が描けるのだろうか、と思い返さずにはいられませんでした。2008年、また新たな気持ちで出来る限りの作品を描いていきたいと思います。
あけましておめでとうございます
2008/01/07
みなさま、あけましておめでとうございます。
松の内も明けてからのご挨拶になりましたが、本年もグループ一同、頑張りますのでよろしくお願いします。