トピックス

キリマンジャロ登頂記 (3)               by 徳永洋子

2011/12/25

 8月26日(続き)
 キボハットを12時半出発ウフルピークに6時50分到着。6時間20分の行程。

ギルマンズポイント (5682メートル)
【ギルマンズポイント (5682メートル)】
頂上で見るご来光
【頂上で見るご来光】
ウフルピーク (5895メートル)
【ウフルピーク (5895メートル)】


 登頂後キボハットをへて一気にホロンボハットまで下山。これがまたかなりきつかった。 12時半キボハットを出発、ウフルピークをタッチして砂礫帯のジグザグの道をひたすら下り ホロンボハットまで長い道のりを歩くのだ。








頂上の氷河も温暖化で少なくなっている
【頂上の氷河も温暖化で少なくなっている】

 8月27日。
 マンダラハットをへてマラングゲートへ下山。専用車でアルーシャヘ。 ホテルにて6日間の汗とほこりにまみれた体を洗い流してホッとする。

ゲートも近く少しゆとりが・・・
【ゲートも近く少しゆとりが・・・】
ガイドのX君英語が堪能なハンサムボーイ
【ガイドのX君英語が堪能なハンサムボーイ】
ガイド、ポーター達最後にキリマンジャロの歌を歌ってくれる
【ガイド、ポーター達最後にキリマンジャロの歌を歌ってくれる】
さっぱりした体で集合。 ビールやジュースで乾杯!
【さっぱりした体で集合。 ビールやジュースで乾杯!】











了。

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キリマンジャロ登頂記 (2)               by 徳永洋子

2011/11/6

 8月24日
 高所順応のためもう1日ホロンボハットで過ごす。

縞模様の有るゼブラロック
【縞模様の有るゼブラロック】
ジャイアントセネシオの前で
【ジャイアントセネシオの前で】












 8月25日。
いよいよ登頂前の最後の小屋キボハットヘ



キリマンジャロをバックに
【キリマンジャロをバックに】
キボハットへ向かう
【キボハットへ向かう】
キボハット (4703メートル)
【キボハット (4703メートル)】
お茶の時間  かなり冷え込んでいる
【お茶の時間  かなり冷え込んでいる】
これから又高所順応に5000メートルまで登る
【これから又高所順応に5000メートルまで登る】













 8月26日。
 PM11時半起床AM12時半出発。
ヘッドランプの明かりを頼りに砂礫帯を黙々と歩く。急斜面につけられたジグザグの道をひたすら歩く。 登るにつれ空気が薄くなるのが分かる。肺に酸素が入るよう意識して深呼吸を度々する。 足に力が入らない。ずるずると滑る。
 いつになったら頂上に着くのかそんなことを考えたらギブアップしたくなるので何も考えないことにした。 頭は白紙のままただひたすら足を前に運ぶことだけ考えた。
苦しかった。忍耐、忍耐・・・・・



明日は登頂日 早く休みます
【明日は登頂日 早く休みます】
真っ暗な中ヘッドランプの明かりを頼りに
【真っ暗な中ヘッドランプの明かりを頼りに】
真っ暗な中ヘッドランプの明かりを頼りに
【真っ暗な中ヘッドランプの明かりを頼りに】











(3)へ続く。

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キリマンジャロ登頂記 (1)               by 徳永洋子

2011/9/19

 19日早朝に出発いつものように成田空港近くのホテルに前泊して、20日からのキリマンジャロ行きに備える。
 思えば、今までの海外登山とは別の特別な準備が有り、やっと今日を迎えたという気持ちである。
 3800mを超える高地での泊りでは特別の健康診断書がいるとのこと、 毎年受けているアニュアルヘルスチェックにプラス肺活量等の部門をホームドクターでもあるN先生にお願いし健康診断書は完了、 N先生のおはからいに感謝である。
 旅行保険など今までかけた事は無く、銀行のカードに付いているそれで十分だと思っていたが、 今回は保険をかけることが義務となっていた。 とりあえずカップルでセットになった保険をかけることにした。
 留守宅用のスケジュール表も今までは子供たちに送ったことは無かったが、 今回はもしも・・・という不安もかすめ、十和田に住む娘のところに送る。 息子はアメリカ駐在中で動きやすいのは娘である。
 小6の孫息子は今好奇心旺盛の時期、キリマンジャロの地図などもいっしょに送ってやったが、 案の定届くや否や電話をかけてきて、興奮気味にあれこれ訊いてきた。 体を鍛えていつか一緒に高い山を目指そうと話した。

フェルメールの絵に会いました
【アムステルダム空港にて フェルメールの絵に会いました】
マラングゲート
【マラングゲート ここで登山手続きをする】

















 8月20日。
キナバル山で一緒だったMrs.Fが少し遅れて成田到着。 チェックインしている時に「トクナガさーん」と懐かしい彼女の声に振り返る。 ラッキーにも座席が隣同士、アムステルダムに着くまでおしゃべりしながら過ごし、 長い飛行時間も短く感じられた。 この日は空港近くのホテルに泊り、念のため(荷物が届かないことが有る) 登山靴を手持ちのザックに入れ替える。

  8月21日。
朝シャトルバスで空港へ。タンザニアのキリマンジャロ空港へと長時間の飛行である。 キリマンジャロの空港へは夜8時近くに到着、真っ暗な中ランドクルーザーでキリマンジャロ山麓のロッジへと向かう。 暗闇の中に時々住居らしき明かりが見えるが、鬱葱とした原野が続き、やっとアフリカにやって来たのだと思った。

 8月22日。
登山手続きのため登山口マラング・ゲートへ。 手続きを終え樹林帯の中の緩やかな道をマンダラハットへと向かう。
2段ベッドが5つ、10人用の小屋へ入り居場所を確保してあたりを散策に出る。

樹林帯をマンダラハットへ
【樹林帯をマンダラハットへ】
白黒のツートンカラーの猿が我々には目もくれず木の実を食べていた
【白黒のツートンカラーの猿が我々には目もくれず木の実を食べていた】














 日テレの24時間テレビで、イモト(笑芸人)が盲目の少女と キリマンジャロに登る様子をライブで映すと聞いていた。 きっとどこかで出合うだろうと思っていたが、 我々の泊るマンダラハットの前を取材班と共に通り過ぎて行った。
 疲れているのでそっとしておいて、とのこと。 盲目の少女を連れての登山は大変だっただろう。 眉毛を濃く描いたテレビ画面の彼女とは違う、髪を二つに分けて結んだ可愛い女の子だった。

イモトとテレビ取材班
【イモトとテレビ取材班】
ガイド、ツアーリーダーと キリマンジャロはまだ遠い
【ガイド、ツアーリーダーと キリマンジャロはまだ遠い】

 8月23日。
 緩やかな草原体をいくつか沢を横切りながらホロンボハット(3720メートル)へ向かう。
 歩行時間6時間のかなり長い行程だったが、ガイド、ツアーリーダーの次に歩き、 速すぎるとの声も聞こえてきた。

ホロンボハット 世界中からやって来ていた
【ホロンボハット 世界中からやって来ていた】
途中美しい花と鳥に出合う
【途中美しい花と鳥に出合う】
ホロンボハットで2泊して高所順応を心がける。
【ホロンボハットで2泊して高所順応を心がける。】











(2)へ続く。

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インカトレイル  〜 全長42キロのトレッキング 〜 (3)      by 徳永洋子

2011/8/21

リャマと一緒に。とてもおとなしいよ
【リャマと一緒に。とてもおとなしいよ】
インティパタ遺跡
【インティパタ遺跡】

 6月14日。
 マチュピチュ遺跡の背後にそびえるワイナピチュ峰へ登る。 早朝3時20分モーニングコール3時50分出発。 先着200名しか登らせてもらえないとのこと。 バス待ちに並ぶ。我々がバス停に来た時既に60人ぐらい並んでいた。驚きである。 替わり番こにホテルまで朝食を食べに行く。 世界遺産の山に登るというのは大変厳しく大変なことと理解する。 ストックは山を痛めるからと使用禁止。

ついにインティプンク「太陽の門」へ到着
【ついにインティプンク「太陽の門」へ到着】
太陽の門から見下ろすマチュピチュ
【太陽の門から見下ろすマチュピチュ】
ワイナピチュ頂上。左に見える線はマチュピチュへのバス路線
【ワイナピチュ頂上。左に見える線はマチュピチュへのバス路線】
コンドルの神殿(前方口ばし 後方羽根)
【コンドルの神殿(前方口ばし 後方羽根)】

 コンドル。
体重25キロ。羽根を広げれば2m。 生きているものを殺して食べることはしない。。 死骸しか食べないそうだ。 一生連れ添い別れることはない。

前方にそびえるのがワイナピチュ峰(2690m)
【前方にそびえるのがワイナピチュ峰(2690m)】
マチュピチュ王国の中にある石切場
【マチュピチュ王国の中にある石切場】

 







 







 マチュピチュ王国の中にある石切場では、遠くから石切りの専門家が来て働いていたそうだ。
王国の人口は1400人でそのうち貴族は800人、使用人は600人という構成だった。

 NHKの報道班のグループに遺跡巡りやトレッキング中、度々出合った。
年末の番組GREAT SUMMITSで放映されるそうだ。我々もどこかに映っているかも・・・。

 列車でクスコへと向かう。
ボーカルタンボ村のまつりの格好をして電車内を走り回ってくれる。 面はジャングルに住むオームの一種 。 アルパカのセーターのファッションショーもあった。


 
 6月15日。
 クスコからリマへ国内線で。その後専用車でナスカ地上絵の遊覧飛行ベースとなるピスコへ。 太平洋を眺めながらゆっくりくつろげるホテルで過ごす。


 











 6月16日。
 ピスコより専用車でナスカ地上絵フライト基地へ。 しっかり見えることを期待して機長、副操縦士にチップを渡す。 が、右に左に旋回して見せてくれるがさっぱり判らず、かろうじてハチドリの絵だけ判った。 エアーシックになる寸前だった。
夕食後空港へ。

 
左下にハチドリの絵が有るのだけど
【左下にハチドリの絵が有るのだけど……】

 機中泊して6月18日、成田に無事到着。
 ハードなトレッキングだったがそれだけに充実した毎日だった。 メンバー7人みんな元気で達成できたこと本当に良かった!!

了。

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インカトレイル  〜 全長42キロのトレッキング 〜 (2)      by 徳永洋子

2011/8/5

遠くに見える雪山 ワイサヤ山
【遠くに見える雪山 ワイサヤ山】
氷雪のベロニカ山をバックに
【氷雪のベロニカ山をバックに】

 6月11日。
 急坂を登りインカトレイルの最高地点ワルミワニュスカ峠(4198m)を超えパカマヨへ シェルパのクワンさんの速度はかなり速く酸素の薄い中ハーハーと息しながら登る。

テント泊初日ポーター、コック達と
【テント泊初日ポーター、コック達と】
このテントで3泊することになる
【このテントで3泊することになる】
 
 
ワイルミワニュスカ峠(4198m)かなりハードだっただけに登りきった時は嬉しかった!!
【ワイルミワニュスカ峠(4198m)
かなりハードだっただけに登りきった時は嬉しかった!!】
ルンクラカイ遺跡
【ルンクラカイ遺跡】

 











 6月12日。
ルンクラカイ峠(3998m)
クスコからマチュピチュ王のもとへ選ばれた美しい女性がささげられる。
ルンクラカイ峠まで父親と一緒に来るがここで別れて一人でマチュピチュまで行くのである。
そこでは料理、編み物を習い亡くなるまで王様に仕える。王様が亡くなれば彼女は殉死する。
美しいがゆえに悲しい人生を送ることになる。

サヤクマルカ遺跡
【サヤクマルカ遺跡】
サルカンタイ山(6215m)
【サルカンタイ山(6215m)】





 6月13日。
石畳の道をいくつか遺跡を経てインカ時代のマチュピチュへの正門インティプンク「太陽の門」へと進む。
テント泊最後の日、ポーター、コックさんに感謝の気持ちを述べポーターたちの歌声に合わせダンスをしてお別れする。

 
 

(3)へ続く。

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インカトレイル  〜 全長42キロのトレッキング 〜 (1)      by 徳永洋子

2011/6/22

ホキ美術館
【ホキ美術館】

 いよいよ待ちに待ったインカトレイルへの出発の日が来た。 5月末異常気象が続き不覚にも風邪の症状が出て何が何でも治さねばと 普段ならこの程度の風邪なら自力で治すのだが念のため病院に行った。
というわけで何とか無事出発にこぎつけた。
いつものように車で成田まで行き前泊してゆっくり空港へ向かうという行程だ。
早朝鈴鹿を出発して、十分にある時間を先ず去年10月にオープンしたホキ美術館で過ごすことにした。
森本草介、野田弘志、中山忠彦、塩谷亮、大矢英雄等々写真ではよく目にするが 実物を目の前にしてすばらしい細密画に感動、中に収められた絵画の素晴らしさは勿論のことだが斬新な建物にも圧倒された。

ピサック市場
【ピサック市場】

 6月7日。
ホテルの送迎バスで空港に向かう。
マレーシアのキナバル山トレッキングでご一緒したW氏夫妻と3年ぶりに会う。
彼らは2年前キリマンジャロに登っていた。
このトレイル中にキリマンジャロの話を色々と聞かせてもらった。
成田からアトランタまで13時間、アトランタからリマまで7時間、乗り換え時間など入れるとほぼ24時間近くの
フライトになる。深夜リマに到着。時差14時間。

クスコの町
【クスコの町】
トウモロコシで作ってあるお酒、ピンク色は苺入り。甘くておいしい。
【トウモロコシで作ってあるお酒、ピンク色は苺入り。甘くておいしい。】




 6月8日。
朝インカ帝国の首都クスコへと国内便でフライト。
標高3360メートル 世界遺産登録のクスコ市街を観光する

ウルバンバ谷(2900メートル)
【ウルバンバ谷(2900メートル)このホテルで2泊する】
オリャンタイタンボ遺跡
【オリャンタイタンボ遺跡】
モライ遺跡 農場試験場 ジャガイモの生産
【モライ遺跡 農場試験場 ジャガイモの生産】
モラスの塩田 地下から湧き出る塩水を乾かす
【モラスの塩田 地下から湧き出る塩水を乾かす】

 6月9日。
終日聖なる谷ウルバンバに滞在、高所順応を兼ねて遺跡を訪れる。

アルパカ
【アルパカ】
ポーター、コック総勢15人
【ポーター、コック総勢15人】

 6月10日。
ウルバンバ谷からチルカ近郊の82kmまで専用車で行きいよいよインカトレイルトレッキング開始
ポーター、コック総勢15人が我々7人のために働いてくれる。
テント、シュラフ、防寒服、1日3食の食事材料、調理器具等々、重い荷物を運んでくれる。

インカトレイル出発地点
【インカトレイル出発地点】











(2)へ続く。

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